怪我の多いチームには、必ず「見えていないもの」がある

怪我はトレーニングの「結果」ではない

熱心に練習している。毎日トレーニングも欠かさない。それでも怪我が絶えない——そういうチームが、実は少なくありません。

こうした状況を前にしたとき、「もっと体を鍛えなければ」と考える指導者は多いのではないでしょうか。しかし、私は、そこに一つの問いを投げかけます。

「トレーニングをして怪我をしているなら、そのトレーニング自体に問題があるのかもしれない。」

怪我は、體が発しているサインです。「何かがおかしい」というサインを見逃してはいないでしょうか。

指導者には、「氣づく責任」がある

選手が怪我をしたとき、「運が悪かった」「本人の不注意だ」と片付けることは簡単です。しかし、怪我が繰り返されるチームには、必ず何らかの共通した原因があります。

體の機能を無視した動き。疲労が抜けないまま続く練習。自分の體の感覚をつかめていない選手たち。

こうした状況に「氣づけるかどうか」が、指導者の役割の核心にあると考えます。

選手に怪我が多いということは、指導者が見えていないものがある、ということです。それは能力の問題ではなく、「何を見るか」という視点の問題です。

機能どおりに動かせる體が、すべての前提

怪我を減らすためにまず取り組むべきことは、筋力を増やすことでも、練習量を増やすことでもありません。

選手一人ひとりが、自分の體を機能どおりに動かせているかどうか。

ここが出発点です。

體の機能が正しく発動していない状態でトレーニングを重ねると、誤った動作パターンが定着します。負荷をかければかけるほど、その歪みは深くなる。怪我が増えるのは、ある意味で必然の結果です。

逆に言えば、體が機能どおりに動くようになると、同じ練習量でも疲労の質が変わります。體への負担が分散され、特定の部位への過剰な負荷がなくなる。怪我のリスクは、自然と下がっていきます。

「実力がなければ、楽しめない」

「実力がないと、楽しめない。」

これは、厳しさを押しつける言葉ではありません。體を機能どおりに動かせるようになると、プレーの選択肢が広がります。自分の意図した通りに體が動く感覚が生まれる。その感覚があって初めて、競技は本当の意味で「楽しい」ものになる——そういう意味です。

怪我が多い選手は、その「楽しさ」にたどり着けないまま競技を続けています。だからこそ、指導者の「氣づき」が重要なのです。

氣づいていないことに、氣づくために

「何がおかしいか、わからない」——これが、最も難しい状態です。

體の問題も、チームの問題も、「見ていない。から見えていない」のです。

私は選手やチームの動きを観察し、「何がおかしいか」を言語化することから始めます。教え込むのではなく、まず現状を正確に把握する。そこから、體が機能どおりに動くための道筋を考えていきます。

怪我の多いチームに必要なのは、より過酷なトレーニングではなく、より正確な「氣づき」です。


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