「なんで出来ない」と言わない理由

ある指導現場で見た光景

以前、他の指導者の方が子どもたちを教えている場に同席したことがあります。

指導者が伝えたことを、子どもがうまくできない。その場面が続いたとき、こんな言葉が飛んできました。

「なんでやらんの」

「なんで出来ないの」

怒鳴るような口調ではありませんでした。でも、その言葉を聞いた瞬間、私はある確信を持ちました。

この指導者には、目の前の子どもの現在地が見えていない。

「なんで出来ない」は、期待のズレから生まれる

私は指導の現場で、「なんで出来ないの」という言葉を使ったことがありません。

それは、優しくしようとしているわけではありません。その言葉が出る状況そのものが、指導者側の問題だと思っているからです。

「なんで出来ない」という言葉は、「出来るはずなのに、出来ていない」という前提から生まれます。つまり、指導者が選手に対して、現状とズレた期待を持っているということです。

選手が出来ないのには、必ず理由があります。體の使い方がわかっていないのか。動きの感覚がつかめていないのか。そもそもその段階に達していないのか。理由が見えていれば、「なんで出来ない」とはならない。次に何をすべきかが、自然と見えてくるからです。

指導者の仕事は、現在地を正確に把握すること

選手を指導するとき、私がまず行うのは「この選手は今、どこにいるか」を見極めることです。

理想の動きがあったとして、選手の現在地がそこからどれだけ離れているか。どこでつまずいているか。何が見えていて、何が見えていないか。

これを正確に把握しないまま、上のレベルのメニューを与えても意味がありません。選手にとっては消化できないものを渡されているだけです。出来なくて当然です。

現在地を把握して、初めて最適なメニューが決まります。

順序はいつも、そこから始まります。

「出来ない」のではなく、「まだそこではない」

指導していると、選手の成長がもどかしく感じる瞬間があるのは理解できます。私もそう感じることは多々あります。

ただ、「なんで出来ない」という言葉を使うとき、指導者は無意識に選手に原因を求めています。しかし本当に問いかけるべきは、自分自身に対してです。

「この選手の現在地を、自分は正確に見ていたか。」 「与えたメニューは、今の状態に合っていたか。」

選手が出来ないとき、それは「まだそこではない」というサインです。指導者はそのサインを読み取り、アプローチを変える必要があります。

體の機能は、緊張した状態では引き出せない

「なんで出来ない」という言葉が飛び交う環境では、選手は萎縮します。萎縮した体は、正しく機能しません。

體が緊張していては、どれだけ正しい動きを教えても入っていきません。選手が自分の感覚に集中できる環境や状態をつくること——それも指導者の仕事だと思っています。

現在地を正確に把握し、その選手に合ったことを渡す。「出来た」という体験を積み重ねていく。その積み重ねの中で、選手は自分の體を信頼することを覚えていきます。

「なんで出来ない」ではなく、「今、何が見えていないか」。その問いを持ち続けることが、指導者として大切なことだと、私は思っています。


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